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朧月
徒然ト、目に映ル物・思フ事。結構な確立でネガティブなのはご愛嬌。
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2024-11-23 [Sat]
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2009-07-17 [Fri]
それを見ただけで涙が溢れた
理由は分からない、分かりたくもない

うまく言葉に出来ない
正しい形を捉えられない
それは余すことなく俺の中にあるのに


その輪郭を
ただ単純に美しいと思った
その輪郭に
ただ触れたいと願った

出会ったことも無いはずなのに
懐かしい、と心が泣いた
サヨナラも言う前に、サヨナラしたのに


それを見ただけで涙が溢れた
理由は分からない、分かるはずもない

これじゃあ、まるで
余りにも


(出会う前から終わっている運命だってある。そのことを俺だけが知っている)
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2009-07-13 [Mon]
現実の97%は、嘘と思い込みで出来てると思っている。
普遍性と不変性を持たないものは真実と呼べないのだから。
とりわけ人間の世界なんてものは、「本当」なんていう嘘が幅を利かせていて始末に終えない。

人は言葉なしに何かを知ることはできない。
でも、言葉なしに感じることはできる。
すべてのノンバーバルが実は雄弁に語っている。

いつだって嘘を吐くのは言葉で、言葉以外は嘘がつけないんだ。
そして、言葉なんて物はその実、この世界のほんの少ししか表しちゃいないんだ。


(だから、いっそ信じたいように信じればいいじゃないか。
「本当」も「嘘」も単なる解釈でしかないのだから。)
2009-07-12 [Sun]
「それじゃまるで本当に病気みたいだ」
そう考えて、ふと思った

どこからが病気なのだろう
どこまでが病気じゃないのだろう



いったい、どれを狂気と呼び
そして、どれを正気と呼べるのだろう

何が正常で、何が異常なのか
そんな事はわからない
何が何だかもう、わからないな。



その存在を教えてほしい
「正しさ」なんてものが、未だ在ると言うのなら。

いま理由(わけ)を与えてほしい
生きていくことに、何か意味があるのなら。


正しさはどこまでも善良。
けれどその正しさが、時に死に至る病になるのだ。
だって、狂気を嫌うその潔癖さもまた等しく病的なのだから。
2009-07-10 [Fri]
もしも明日、目が覚めなかったとしたら
それはとても残念なことで
しかしとても幸運なことかもしれない。
いつかくるその日が、もしも明日なのだとすれば
俺は俺以外の何一つを失わずにすむから。


君の為に生きようと思うこと、俺の為に死のうと思うこと
そのどちらもが等しく本当で、そのどちらでもあれたらと願っている。
矛盾していることには気づいてる。
けれど、割り切れないことだってあるだろう?

きっと、人が思うよりずっと、俺は我儘で自己中心的なんだ。
これ以上傷つかないやり方を、いつだって探している。




(どうしてだろう。「生きる」ことだけが、どうやったって上手くいかないんだ。)
2009-07-08 [Wed]
時々、自分が酷く曖昧な存在であることを唐突に自覚する事がある。

それは例えば
揺れる電車の中であったり
騒つく講義室の席であったり
息を切らし走らせる自転車の上であったりする。


ここに居て、本当は何処にも居ないような
現実と呼ばれる何かが、足元から溶けるような
不安定で不確かな感覚。


人はいつか必ず死ぬ。
どれだけ神に近づこうとも
人の致死率は変わらず1のままで
0.5にも0にもならない。


いつか居なくなることと
今存在しないことに
果たして、どれほどの違いがあるだろうか。

生まれたことに意味があるだなんて
そんなことは単なる詭弁だ。
死ぬことは必然でも、生まれたことは偶然。
それは言うなれば、雨が降ることと似ている。

人はいつか死ぬ
間違いなく、必ず。
そして、それはきっと
地球にとっては欠伸をするほどの間もないような、一寸先のこと。

その時には、私が存在したことを知る者など一人もいない。
どう生きることも、結局は自己満足でしかないのだ。


(こういう生き方しかできない私をあなたは憐れむ。
あなただっていつかは、同じ0に還るのに。)

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