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朧月
徒然ト、目に映ル物・思フ事。結構な確立でネガティブなのはご愛嬌。
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2024-11-23 [Sat]
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2008-11-24 [Mon]
生きているのが厭になった夜の明けた朝
憂鬱な気分を養分とともに噛み下せば
大切な時計の針がズレていた

人生など詰まらないと呟いた夜の次の朝
いつもとズレた電車に揺られながら
初めての味の珈琲を飲んだ

どこかに帰りたいと泣いた夜の過ぎた朝
いつもと同じ音楽を聴いてたら
この町を出て行く夢を見た

どんな夜も
嵐の日も
必ず朝がきて薄日が射す
杞憂は消えなくても
痛みは増すばかりでも
日常は止むことなく続いている
詰まらない自分を乗せて回っている

ふがいない自分に
情けない自分に
いつかはサヨナラを言えるだろうか

何も残さずにいくのなら
ただ優しすぎる人になりたい
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2008-11-10 [Mon]
誰もいない電車
誰もいない教室
誰もいない街
誰もいない世界

家路を急ぐ群衆に紛れ
溢れる雑音に包まれ
すれ違う誰かと肩をぶつけても

それでも僕は
いつもどこかで孤独を感じていたんだ
君と会うまでは


[P4]
2008-11-09 [Sun]
ねぇ、知ってる?

「凄くなんてないよ」って謙虚さとは限らないんだよ
少なくとも俺の場合はね
自嘲とか卑下とか
そんな諸々の苦いもので出来ている

賞賛も脚光も
大嫌いだよ
蜂蜜みたいに甘ったるいむず痒さの後に
珈琲よりも苦い悲しみに浸される

ねぇ、知ってたかい?
2008-11-05 [Wed]
詰まるところ神は存在するのだろう ただそれは、世の有神論者たちが思い描くものとはおそらく違う それはいわゆる自然の総意などと呼ばれるものに類似しており、たとえば偶然や成り行きと呼ばれるようなものだ ただそう成るが為だけにそこに存在しているのであって、神を説く人々が期待しているような作用など有してはいないのだろう 最終的に「救う」「救わない」など誰も預かり知らぬところなのだ ただ、もう一つの持論として自分を救えるのは結局自分以外にはあり得ないのだとも思っている そうなると神とはもはや自ら自身ということもなりかねない 全くもって不思議な話だ

ただ一つ言えるとすれば、やはり神はいるということ
2008-10-24 [Fri]
常識という名の偶像に、つきまとう違和感。
既成概念を疑うことから生まれる多様な現実にこそ、考えることの意義があると思う。

かの人を孤独たらしめるものはいったい何なのか。
彼自身が望まない孤高を押し売りしたのは何の為なのか。
口を開けた深淵は、いつかは閉じて消えていくのか。

人は二つもある目で、いったい何を見ているのだろう。
どうせ大事なことが見えないのなら、「分かった」だなんて言わなければいいのに。

世界はいつだってすべてが「不確定」だ。
人間だけが「絶対」という名の夢を見ている。
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