2009-05-08 [Fri]
俺たちは何故か、
日々全ての行為に正当性や理由を求めてしまう。
しかし、その正当性を保証する「当然」はなんと不確かなものであろうか。
「当然」は文化的背景あるいは社会的慣習と切り離しては存在することが許されず、容易に過去形になり得る。
「当然」は真理に似て非なるものである。
だとすれば、それに縋ることで安心を得ることにどれ程の意味があろう。
そんな流動的なものに頼って立っていられるのなら、そんなものなど無くとも立っていられる。
かつてソクラテスは、この世界に何らかの絶対的な秩序があると仮定し、それを信じた。
けれど現代を生きる俺は未だ、その何かを見つけられずにいる。
日々全ての行為に正当性や理由を求めてしまう。
しかし、その正当性を保証する「当然」はなんと不確かなものであろうか。
「当然」は文化的背景あるいは社会的慣習と切り離しては存在することが許されず、容易に過去形になり得る。
「当然」は真理に似て非なるものである。
だとすれば、それに縋ることで安心を得ることにどれ程の意味があろう。
そんな流動的なものに頼って立っていられるのなら、そんなものなど無くとも立っていられる。
かつてソクラテスは、この世界に何らかの絶対的な秩序があると仮定し、それを信じた。
けれど現代を生きる俺は未だ、その何かを見つけられずにいる。
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