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朧月
徒然ト、目に映ル物・思フ事。結構な確立でネガティブなのはご愛嬌。
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2024-11-27 [Wed]
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2009-07-17 [Fri]
俺たちはきっと、ひどい思い違いをしている。


暴力と不条理に苛まれていようとも
ただ生きることが目的である者に戦争は出来ない。

なぜなら、彼らが求めるものは
「今日命を繋ぐ一つのパン」であって、
「よりよい質と味をもつパン」ではないのだ。


それについて考えれば考える程に、ただ愚かで。
俺には、理性と合理化の産物のようにしか思えなかった。
おそらくそれは、何にもまして人間らしい行為。
きっと、息をして排泄をするその程度のこと。



(感覚という名の最上の秤を捨てて、無能な定規を手に入れた。
世界は有限で出来ていると、そんな事すら忘れたのか。)

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2009-07-17 [Fri]
それを見ただけで涙が溢れた
理由は分からない、分かりたくもない

うまく言葉に出来ない
正しい形を捉えられない
それは余すことなく俺の中にあるのに


その輪郭を
ただ単純に美しいと思った
その輪郭に
ただ触れたいと願った

出会ったことも無いはずなのに
懐かしい、と心が泣いた
サヨナラも言う前に、サヨナラしたのに


それを見ただけで涙が溢れた
理由は分からない、分かるはずもない

これじゃあ、まるで
余りにも


(出会う前から終わっている運命だってある。そのことを俺だけが知っている)
2009-07-10 [Fri]
もしも明日、目が覚めなかったとしたら
それはとても残念なことで
しかしとても幸運なことかもしれない。
いつかくるその日が、もしも明日なのだとすれば
俺は俺以外の何一つを失わずにすむから。


君の為に生きようと思うこと、俺の為に死のうと思うこと
そのどちらもが等しく本当で、そのどちらでもあれたらと願っている。
矛盾していることには気づいてる。
けれど、割り切れないことだってあるだろう?

きっと、人が思うよりずっと、俺は我儘で自己中心的なんだ。
これ以上傷つかないやり方を、いつだって探している。




(どうしてだろう。「生きる」ことだけが、どうやったって上手くいかないんだ。)
2009-07-08 [Wed]
時々、自分が酷く曖昧な存在であることを唐突に自覚する事がある。

それは例えば
揺れる電車の中であったり
騒つく講義室の席であったり
息を切らし走らせる自転車の上であったりする。


ここに居て、本当は何処にも居ないような
現実と呼ばれる何かが、足元から溶けるような
不安定で不確かな感覚。


人はいつか必ず死ぬ。
どれだけ神に近づこうとも
人の致死率は変わらず1のままで
0.5にも0にもならない。


いつか居なくなることと
今存在しないことに
果たして、どれほどの違いがあるだろうか。

生まれたことに意味があるだなんて
そんなことは単なる詭弁だ。
死ぬことは必然でも、生まれたことは偶然。
それは言うなれば、雨が降ることと似ている。

人はいつか死ぬ
間違いなく、必ず。
そして、それはきっと
地球にとっては欠伸をするほどの間もないような、一寸先のこと。

その時には、私が存在したことを知る者など一人もいない。
どう生きることも、結局は自己満足でしかないのだ。


(こういう生き方しかできない私をあなたは憐れむ。
あなただっていつかは、同じ0に還るのに。)

2009-07-07 [Tue]
どれほど走ったとしても、
進めるのはたった24時間で

どれほどゆっくり歩いても、
押し流されて24時はやってくる


結局、何万年待ったとしても
人は人であることを辞められない




たとえ正の走光性が、全体の総意でなければならなくとも
現状を見る限りにおいて、それが適う日は未だ来ない



けれど、それでいいのかも知れない
それでもいい と、
今は漠然とそう思った





(万人の高潔さが果たして幸福と呼べるのかどうかを、
瞬く間しか生きない私は悲しくも知ることはないのだ。)
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